意見交換「沖縄での実情調査結果について

(平成9年4月7日参議院国際問題に関する調査会会議録より抜粋)


(前略)
○会長(林田悠紀夫君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
  国際問題こ関する調査を議題といたします。
  本日は、先般行いました委員派遣につきまして、派遣委員から報告を聴取した後、意見交換を行いたいと存じます。
  議事の進め方でございますが、まず、派遣委員の益田君から報告を聴取した後、それをもとにいたしまして、委員の皆様から午後二時半を目途に自由に意見をお述べ願いたいと存じます。
  なお、発言は従来どおり着席のままで結構でございます。
  それでは、まず派遣報告を聴取いたします。益田洋介君にお願いいたします。益田君。
○益田洋介君 先般、本調査会が行いました委員派遣につきまして御報告申し上げます。
  本調査会の林田会長、板垣理事、南野理事、照屋理事、武田理事、上田理事、馳委員、林委員、山崎委員、田村委員、そして私、益田の十一名は、去る二月十七日から十九日までの三日間にわたり、安全保障、経済協力等に関する実情調査のため、沖縄県に派遣されました。
  以下、その調査の概要について、日程に沿って御報告申し上げます。
  第一日目は、那覇空港到着後、同空港に隣接する自衛隊那覇基地に赴き、基地所在の航空自衛隊南西航空混成団、陸上自衛隊第一混成団及び海上自衛隊第五航空群について概況説明を聴取し、意見交換を行ったほか、基地所属のP3C固定翼哨戒機及びF4戦闘機の各航空機を視察いたしました。次いで、那覇防衛施設局を訪れ、沖縄の防衛施設の現状のほか、米軍施設・区域の整理、統合、縮小問題及び駐留軍用地特措法に基づく使用権原の取得に係る問題について説明を聴取し、意見交換を行いました。
  続いて、本島南部の糸満市に移動し、国立戦没者墓苑及び平和の礎に参拝いたしました。
  第二日目は、まず、宜野湾市の中央部に位置する米軍普天間基地を訪れました。普天間基地は海兵隊の航空基地であり、昨年十二月に出された沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の普天間飛行場に関する最終報告において、今後五ないし七年以内に十分な代替施設が完成し運用可能になった後、返還されることが示されております。基地では、司令官キング大佐から基地の概況について説明を聴取し、意見交換を行ったほか、海兵隊の保有するKC130空中給油機、百五十五ミリりゅう弾砲などの主要装備を視察いたしました。さらに、管制塔ほか基地内の施設を視察いたしました。
  次いで、北谷町を訪れ、ハンビー地区及びメイ・モスカラ地区における米軍基地跡地利用状況を視察いたしました。
  次いで、米軍キャンプ瑞慶覧にある海兵隊基地司令部を訪れました。沖縄に駐留する海兵隊は、唯一海外に展開している第三海兵遠征軍に属しております。基地司令部では、沖縄の海兵隊の概要について説明を聴取したほか、海兵隊基地司令官ヘイズ准将と、米国における海兵隊削減論議、東アジア戦略報告修正の可能性、戦域ミサイル防衛に対する見方、普天間基地代替の海上施設に対する見方、キャンプ・ハンセン及び日本本土での演習の際の不発弾処理、今後のアジア太平洋の情勢に対する認識、自衛隊の能力の評価などについて、活発に意見交換を行いました。次いで、嘉手納町、北谷町、沖縄市にまたがる極東最大の米空軍基地である嘉手納基地を訪れました。基地では、その概要について説明を聴取し、第一八作戦群司令官バンデンドリース大佐と意見交換を行ったほか、滑走路、戦闘機駐機場、エンジン整備のための消音装置、海軍駐機場、遮音壁などを視察いたしました。ちょうどF15戦闘機によるタッチ・アンド・ゴーが行われておりましたが、大佐からは、周辺住民への騒音を軽減するため、ジェット機の活動が飛行場の中央部に移され、昨年締結された騒音防止協定に基づき、午後十時から翌朝午前六時までの間、飛行は原則として行っていないこと、また、滑走路北側の遮音壁が老朽化したため、今後新たな遮音壁を建設する計画であるなどの説明がありました。
  次いで、那覇市天久地区を訪れ、米軍牧港住宅跡地の再開発事業を視察いたしました。
  最終日の第三日目は、まず、沖縄県庁を訪れ、県当局から沖縄の基地問題の概要について説明を聴取した後、大田知事と基地問題などについて活発に意見交換を行いました。大田知事からは、米軍による劣化ウラン弾発射問題について、専門家の論文などから見て、事態は一般に報道されているより深刻であると受けとめており、劣化ウラン弾の回収と環境調査の徹底を強く要望する、もし日米安保が重要であるというのであれば、沖縄だけに基地を押しつけずに、全国で安保の負担を負うべきであるなどの見解が不されました。次いで、浦添市にある国際協力事業団沖縄国際センターを訪れ、センターの概要について説明を聴取し、意見交換を行ったほか、視聴覚技術コース及び情報処理要員養成コースの研修の模様やセンター内を視察いたしました。最後に、那覇空港事務所を訪れ、同空港の概要等について説明を聴取いたしました。今回の沖縄への委員派遣を通じまして、我が国の安全保障において沖縄の自衛隊基地及び米軍基地の果たしている実態に加えて、沖縄がいかに複雑でかつ困難な基地問題を抱えているのかがよく理解でき、有意義な実情調査ができたと感じております。
  ここに、御協力いただきました関係各位に対し、厚く御礼申し上げます。
  以上が今回の調査の概要でありますが、調査の詳細につきましては、別途、報告書を会長のもとに提出いたしておりますので、それを本日の会議録の末尾に掲載していただけるようお取り計らい願いたいと存じます。
  以上でございます。
○会長(林田悠紀夫君) ありがとうございました。
  これをもって派遣委員の報告の聴取は終了いたしました。
  なお、ただいま御報告がありましたが、別途、詳細にわたる報告書が提出されておりますので、これを本日の会議録の末尾に掲載することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(林田悠紀夫君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。
     ―――――――――――――
○会長(林田悠紀夫君) それでは、引き続き、ただいまの報告をもとにいたしまして意見交換を行います。
  参加された委員からの補足意見、委員の皆様の沖縄県の米軍基地問題等に対する意見等、この派遣に関連して何でも結構でございますから御発言をお願い申し上げます。
  なお、御発言を希望される方は挙手を願い、私の指名を待って発言していただきたいと存じます。
  それでは、挙手をお願いいたします。
○板垣正君 それじゃ、火つけ役で刺激的なことを。
  今、御報告申し上げたとおり、大変充実した、しかも時期的にも非常に意義のある視察であったと思うわけでございます。
  そのうちの一つで、その後の成り行き、今日の状態は申し上げるまでもないわけでありますが、やはり一番懸念されるのは、沖縄県知事初め沖縄県民の皆さん方のこの思いと、いわゆる安保体制への取り組みという国の立場におけるいわば国益の立場、そしてまた沖縄県の立場、こうしたものがやはりここで言われているように非常に複雑かつ難しい中で、しかしこれを何とか解決していかなければならない、こういう点で、それぞれの立場はありますけれども、皆ひとしく取り組んでいる、こう思うわけであります。
  そこで、一つ率直に申し上げたいことは、沖縄県知事初め一生懸命にこの基地の問題に取り組んでおられる。私どもが参りましたときにも、二〇一五年までには全基地をなくすいわゆる沖縄のアクションプログラムを、私どもも県庁でその刷り物もいただきました。これは、いわゆる沖縄県の国際都市形成構想と表裏といいますか、そういう形でこのアクションプログラムというものがだんだん表に出てきつつあるという気持ち、印象を持ちます。この細かい方の議事録に載せられる報告書にもアクションプログラム(素案)ということで掲載されて報告されております。
  私は、かねてからこの問題は非常に心配しております。二〇一五年までに最終的には嘉手納を含めて全基地をなくす、それに伴って三段階に分けて国際都市形成構想も進めていく。こういうあり方というものが、できればそれにこしたことはないし、また、一つの理想といいますか、目標として進める上においては理解できるわけでありますけれども、その計画がある意味のひとり歩きといいますか、もう二〇一五年には基地を全部なくしてしまうんだという立場でこれが素朴に信じられ、素朴に県民の意思としてそういう期待感を大きく持つ、こういうことになってまいりますと、私は、現実の見通しとしてなかなかそうはいかないのではないのか。かえって期待が裏切られるというか、今申し上げた沖縄県民と本土側とのずれというか食い違いが大きくなってくると。
  さらに、このアクションプログラム(素案)なるものも、沖縄県で必ずしも十分なる討議を経てまとめられたものではないと伺っておりますし、現に沖縄県選出の国会議員の中からも、いや、あれはだれもできると思っておりませんよというふうなことも私じかに聞きました。
  それにしても、こういう一つの案というものはやっぱり現実を踏まえながら行かなければならない。また、運動としては目標を掲げて大いに進めていくという面と相まちながらも、その点、私は懸念を持っておるということを冒頭申し上げるわけであります。
  それとある意味では関連もしてくるわけでございますし、ホットなニュースとも言えると思いますけれども、来日するコーエン国防長官が記者会見等を通じて、アメリカの国家戦略、これからの軍事戦略について、朝鮮半島が統一されるような事態を仮に迎えたとしても、韓国におけるあるいは我が国におけるいわゆる十万人体制、アメリカの前方展開戦略に変わりはないと発言いたしたということが各紙に報道されております。来日して橋本総理とも話をされるということですから、恐らくそうしたアメリカ側の考え方というものが具体的に示されるのではなかろうかと思うわけであります。
  このことは、実は私もかねてからそういう感じを持っておりまして、この間視察で瑞慶覧に参りましたときも、あそこの現地司令官とのいろんな話し合いの中で、こうしたことについても私はそういう立場で見解をただし、やはり相手側も同じような考え方であるということを確認した経緯があります。
  やはりアメリカの立場、実質的に今の国際社会における唯一の、世界の秩序を自分たちの手で維持していくという、ある意味の使命感と申しますか実力と申しますか、こうした現実の中で、やはりアメリカとしてアジア太平洋地域、さらにはより広い世界の平和、安定を維持していくという立場から、朝鮮半島問題も極めて深刻でありますけれども、どうなるかわかりませんけれども、一つの段落を迎えたとしても、私はそのことによって米軍の体制というものが一挙に変わるということはあり得ないのではなかろうか。
  その点で、これはいろんな立場でいろんな論議をする、国籍を問わず。もう海兵隊は必要ないという意見もあれば、移していいという意見もあれば、あるいは朝鮮半島の問題が一応決着すればそこで見直しのときが来るし、そのときには移動させていいだろうという見方が専門家からも出されていることも事実であります。
  しかし、私は少なくとも、クリントン政権の新しい国防長官としてその中枢にある立場から明言されたことは、やはりこれはアメリカの国家意思として受けとめるということが現実的でありましょう。また、広くアメリカの国家戦略を考えた場合、つまりは、アジア各地域において覇権国家によって安定秩序が侵害される、あるいはそういう危険が生ずることは認められない、紛争を防止する、抑止する、あるいはそうしたものが発生した場合もそれをおさめていく。
  そういう立場におけるアメリカの国家戦略という広い視野に立った立場からするならば、沖縄の基地問題を深刻に受けとめながらも、しかしその戦略的な位置づけからいって、特にヨーロッパとは違いまして東アジアの場合には、まだこれはある意味の十九世紀的なバランス・オブ・パワーといいますかそういうものが働く。あるいは現実に、朝鮮なり中台間なり南シナ海、こういうようなところにいろいろな緊張要因、不安定要因が不透明な形で実在していることは事実であります。そうした中で、アメリカのそういう戦略を我々がどう受けとめていくかということが問われていると思います。
  私は、やはり我々がそれをただ受け身に、アメリカの態度がこうだった、またこう言ったといってそれに振り回されるというよりは、アメリカはアメリカの戦略があるわけでありまして、我が方は我が方としての基本的な立場に立って、我が方の国家戦略というものをより見きわめていかなければならない、その十分な論議はまだこれから必要だと思います。
  私は、やはり冷戦後の我が国の場合、いわゆる一国平和主義という立場を脱皮していく。憲法を守って我が国が閉じこもって、日米安保体制というもとでいればずっと平和であり得たことは事実だし、それは一つの評価ができるとも思います。しかし、冷戦後の世界情勢あるいはアジア情勢、これは我が国が一国平和主義に閉じこもっていることは許されない。むしろ、積極的に我が国はもとよりアジア周辺地域の安定、紛争の未然防止、そういう平和的な活動、これはいろんな幅の広いことが言えるわけでありますが、やはりこれに主体的に取り組んでいく。そういう面における日米安保体制を基軸とする意味というものは、受け身ではなくやはり我が国の立場において積極的に取り組んでいく、また検討していく必要があるのではないのか。
  感想みたいなことで恐縮でありますけれども、そういう基本的な感じを私は持っております。別の意見も多いと思いますが、論議のきっかけになればと思って申し上げた次第でありますので、よろしくお願いいたします。
  以上です。
○上田耕一郎君 この間の視察の議論で、なかなかいろいろな中身のある議論もあったので、その報告と若干の意見も加えて述べたいと思うんです。
  沖縄は、日本の中でただ一つ悲惨な地上戦闘が行われたところで、戦後二十七年間アメリカの単独占領下にあったという点で非常に不幸な歴史をたどって、世界でも珍しい基地の島になっているわけです。そういう沖縄の戦後の歴史の深刻なことを、今度行って三日間の視察でもいろんなところで私感じたんです。
  最初に自衛隊那覇基地に行ったんですが、食事のときにハッスルした事態が生まれたんです。陸上自衛隊の幹部だと思うんだけれども、ヘリコプターで患者さんを輸送することをやっていたとき、石垣島だったかな、事故が起きて自衛隊員とお医者さんたちが四人亡くなったというんです、かなり前に。その七周忌があったのに県知事がその七周忌に来なかったというので、自衛隊員を虫けらのように思っているのか、自衛隊員だって傷つけば血が流れるということで非常にハッスルして怒り始めたんです。
  そうしたら、照屋理事がいらっしゃるでしょう、照屋さんが今度はハッスルして反論を始めたんですよ。私は当時県会議員で、あのとき県議会でその犠牲者に対する哀悼、黙祷、そういう提案をしたのは私だと言い始めまして、決して自衛隊員を虫けらなんて思っていない、そんなことを言うのなら沖縄戦のときに日本の軍隊は沖縄県民をどんな扱いしたんだということで、それで自衛隊の方も黙っちゃうし、照屋さんもそれだけハッスルしておさまったんですけれども。
  視察に行って御飯のときにああいう状況が起きたのは私も初めてで、これは、沖縄戦のときに米軍と戦ったんだけれども、同時に、軍が部分的には集団自決を強要したり、いろんなことがあったでしょう、そういうことがいまだに半世紀たってこういうときにも出てくるんだな、そういう印象を一つ持ちました。
  それから、防衛施設局に行って一つ驚いたのは、当時ちょうど大田知事と橋本首相が会った直後で、五・一五メモの公表問題で知事が首相に申し出て、首相が前向きに対処しようという非常に肯定的返事が出た時期なんです。五・一五メモというのは七二年の五月十四日に施政権返還があって、その翌日の五月十五日に、この間ほぼ発表をされましたけれども、沖縄のすべての基地に対してどういうふうにするかということを取り決めた文書で、全部で二百何十ページか、今度公表になって、七十数項目あって、それで国会でも何回も問題になって、二十何項目かは公表されているというメモなんです。
  何でこういうメモが必要だったかというと、沖縄の基地というのは非常に特別な基地で、私が印象強いのは、アイゼンハワー大統領が指示して世界じゅうの基地を調べさせて、その調査の結果大統領に勧告が出ているんです。その中で、沖縄の基地についての勧告というのは非常にこれはおもしろい勧告で、こんなに基地が集中しているのはまずい、脆弱だというんです。一遍にやられちゃうというわけだ、これだけ集まっちゃってると。脆弱なので東南アジアに分散すべきだというのが、当時世界じゅうの基地を調べてアイゼンハワー大統領に勧告された内容なんです。
  ところが、その大統領の命令で調べた調査団が、基地が集中し過ぎている、脆弱なんで分散しろという勧告を出すような基地が何でできたんだろうと、私は当時非常に不思議に思って調べてみたら、これはやっぱり沖縄戦と関係があって、沖縄戦の直後に十二の収容所に全県民を山狩りして、鉄条網で囲って入れて、人っ子一人いなくなったところに白地図に線を引くようにしてつくった基地なんですね。アメリカの文書では、プライス勧告の中に一万八千ヘクタールそのとき取ったと、そう書いてあります。
  そうやって生まれた基地だから、それで本当は対日戦のための基地のはずなのに、実際は戦後の対ソ、対中国のそういう基地にしたわけです。そういう意味じゃ、無償で勝手に取り上げたという点でもヘーグ陸戦法規違反なんだけれども、対日戦じゃなくて、戦後の戦略基地に使ったわけですから、これは基地にする目的がヘーグ陸戦法規にも当たっていない。これはその後日弁連の膨大な報告書がありますけれども、日弁連はもう完全に国際法違反だという断定をしていますし、七一年の沖縄返還のときの委員会で社会党の川崎寛治議員がうんと追及したら、当時の佐藤首相も直接の戦闘行為以外は陸戦法規違反だということを国会で答弁したような、そういう特別な基地なんです。
  五三年にアメリカの布告二十六号というのには、書面で契約を結ぼうとしたけれども成功しなかったと。書面はないんですよ、契約は。それは勝手に取ったんだから。だから、これはインプライドリース、黙契、黙った契約だと書いてある。それで、無償で取り上げてずっと使っているのはアメリカ憲法違反だということを米軍の布告が認めているぐらいな基地です。そういう基地を施政権返還するときに、さあ日本の法律を適用しなきゃならない、これは大変なことなんで、無理なんですよ、適用するのは。それで、当時公用地法というのをつくって、契約なしでも五年使えるというふうにしたんだけれども、そのとき基地をそのまま使えるように五・一五メモというのをつくったわけです。
  私が沖縄の防衛施設局で局長に、あなたはじゃその五・一五メモを見たことがあるかと言ったら、見たことないと言うんです。これには驚いて、沖縄の米軍基地全体に責任を持っている局長さえ見たことないというんだから、ひどい状況になっているんだと、そう思いましたね。それで、まことに無責任だと思いました。
  そういう過程でつくられた世界にもない基地の島で、契約書さえないものだった。それをその後、施政権返還のときに地代を日本政府は六倍に上げまして、それで契約を結ばせたんだけれども、当時三千人契約を結ぶのを拒否した反戦地主がいて、その三千人が今は防衛施設局にかなり切り崩されて百人ぐらいになって、今度は一坪反戦地主三千人でやっていますけれども、そういう経過があるんですね。だから、沖縄へ行くと戦後五十年のそういうさまざまな歴史の一つ一つが浮かび上がってくるし、一つ一つの問題の非常な大きさと深さを感じる。
  アメリカの基地、今度で私二回目なんですけれども、行って非常に印象強かったのは、いわば大歓迎でしたね、海兵隊は。とにかく普天間基地にKC130からヘリコプターから百五十五ミリりゅう弾砲もずらっと並べて、迷彩服を着た海兵隊を動員して、それでみんなに説明して、見せてくれるわけです。それから、何を聞いても質問に答えてくれる。だから、海兵隊問題が今大問題になっているし、国会から元法務大臣が団長の視察団も来るというので、海兵隊もかなり構えて我々を迎えたんだなと、そう思いましたね。
  そういう意味じゃ、アメリカ側もかなり真剣に我々の調査を今度は準備もして受けてくれたと思うんです。案内して、それから質問に答えてくれた人たちもかなり権威のあるメンバーで、普天間飛行場の案内と説明してくれた方、キング大佐、この方はSACOの下にある普天間実施委員会、FIGの正式メンバーなんですね。
  キング大佐にもいろいろ聞いたんですけれども、一つ重要だったのは、ちょっと報告しておきますと、普天間基地についてのSACOの最終報告にこういうことがあるんです。「普天間飛行場の運用及び活動は、最大限可能な限り、海上施設に移転する」と、今度できるはずのところ、「海上施設の滑走路が短いため」、これは千五百メートルなんだけれども使えるのは千三百だと。今、普天間飛行場は二千八百メートルある。「短いため同施設では対応できない運用上の能力及び緊急事態対処計画の柔軟性(戦略空輸、後方支援、緊急代替飛行場機能及び緊急時中継機能等)は、他の施設によって十分に支援されなければならない」。だから、キャンプ・シュワブの沖に海上施設ができるが、それ以外に施設をつくらなきゃならぬことが決まっているわけです。
  ここで「戦略空輸」というのが書かれているので、これまで新聞報道では、SACOの議論で、緊急時にはアメリカ本国から三百機のヘリコプターが来るということをアメリカ側が明らかにしたというんだが、どうかということを聞きましたら、キング大佐は、私のメモによりますと、三百機が必ずアメリカ本国から来るということではない、三百機を受け入れる装備能力が必要だということだと。今は六十機あるんですけれども、有事のときにはやはり三百機ヘリコプターが来るわけです。それを受け入れる装備能力は要ると。それで、海上施設じゃそれができないのでは、どこにつくるんだと言ったら、嘉手納につくるという返事をしていました。
  それから、これは普天間飛行場の移転問題で、海上施設問題、これも大変だけれども、それ以外にもかなりいろんな問題があるということを示していると思いました。
  キャンプ瑞慶覧に行って、海兵隊の副司令官のヘイズ准将が案内をしてくれて、ビデオ、スライド映写も見て、それからいろいろ説明もあって質問がありました。ヘイズ准将の説明で、これは通訳の間違いでなければ私のメモじゃこうなっているんですけれども、冒頭でこう言ったんです。日米両国は現在二つの問題を持っている。一つはSACOの問題で普天間基地の返還である。もう一つは朝鮮半島の問題が解決した後の体制はどうあるべきかという問題であると。先ほど板垣さんも言われたけれども、つまり朝鮮半島問題が解決した後、日米の軍事体制をどうすべきかという問題がもう一つの重要問題なんだと、なかなか率直にずばり物を言うんですね。こういう説明でした。私のメモによれば、馳議員が、アジアの米軍の十万名の数は朝鮮半島の情勢が変わると縮不可能か、そういう質問をされましたね。ヘイズ准将の答えは、十万名は朝鮮半島の情勢いかんで変化する、こういう答えだった。朝鮮だけでなく中国、旧ソ連の地域の情勢の問題もあると。大体こういう答えをされたんです。
  その後、同じような答えは、朝日新聞三月二十九日付で、アメリカの太平洋軍司令官ジョセフ・プリアー提督は「朝鮮半島で和解が成立すれば、当然、日本での兵力水準について話し合いをすべきだ」という、変わるということを言っているんですね。ところが、今度来る国防長官は変わらないということを言っているので、どうも米軍の中にもいろんな意見があるんだなと。だから、国防長官で決まりだとは思わない。そのことが、つまり日米間で普天間飛行場問題とともにもう一つ持っている問題の一つだと、こうヘイズ准将が言ったんです。
  それから、ヘイズ准将が言ったことの中で、これもなかなか重要だなと思ったのは、普天間基地の一部が北部に行くんだが、いろんな問題があると。台風が来た場合の安全の問題がある、ヘリコプターにとって塩分が大きな問題で、その防止に莫大な金がかかるというんです。こうしたいろんな細かな問題を検討しなければならないので、五年から七年というが、七年では済まないかもしれないと、そうはっきり言いましたね。だから、橋本首相は普天間返還で五年から七年と言い、SACOの最終報告にも五年から七年と書いてあるけれども、海兵隊の副司令官は七年で済まぬかもしれぬということを言うんですね。
  それから、嘉手納で私が失敗したのは劣化ウラン弾の問題で、嘉手納弾薬庫にあるので嘉手納へ行って聞けばいいかと思って聞いたら、空軍は、あれは我々の問題じゃないんだ、空軍じゃないんだというので、しまったやっぱり海兵隊に聞くべきだったなと思って、これはうまくいかなかったんです。
  太平洋空軍の守備範囲を聞いたら、アメリカ西海岸から東アフリカまでだが、必要に応じてその外にも行くと、こう言いました。海兵隊の守備範囲は、もとに戻りますけれども、ヘイズ准将はこう言いましたよ。沖縄の海兵隊は西はアフリカ東部から東はハワイまで、南はニュージーランドから北はロシアまで受け持ち範囲で約五千平方マイル、アメリカ本土の十七倍だと、これだけやっていると。それで、海兵隊というのは小規模の部隊だけれども、陸海空三軍の機能をすべて持っているのが我々海兵隊だということは何度も強調して言いました。
  もう一つ私が聞いたのは、今度本土に百五十五ミリりゅう弾砲の射撃訓練が移ることになっているんだけれども、沖縄では金武連山に撃ち込むときに全然不発弾の処理をしていないんです。それで、金武町の町長が一昨年の共産党の調査団に述べたところによりますと、大田知事と一緒にハワイに寄って、ハワイのスコーフィールド演習場へ行ったと。そうしたら、ここは住宅地から四千二百も離れていて緑の山は撃たない。それで、着弾地点とガンポイントの数を数えて不発弾があればきちんと処理していると。キャンプ・ハンセンは住宅地から七百メートル、撃ちっ放しで不発弾がごろごろしているということで、ちゃんと不発弾の処理をすべきだということを言われていたので、そのことを聞きましたら、いやあそこは撃ち込むだけにしか使わないから処理しないんだと。
  それで、東富士なんかは撃ち込む場所を別な演習にも使うので不発弾を処理している、ハワイも別に使うので処理しているんだと。それで、これは全部日米間の基準に従ってやっていると。だから、百五十五ミリりゅう弾砲の実射撃というのは東富士ではもう既にやっているし、沖縄ではずっとやってきているんだが、これもその基準が決まっていると。これは案外五・一五メモにあるいはあるのかもしれませんけれども。我々もちょっとどういう基準か知らないんですけれども、とにかく司令官はそういう答弁をしたということがありましたので、これも報告しておきます。
  沖縄問題は、特措法が今問題になっていますけれども、やっぱり海兵隊の撤去が一番当面の根本問題だと思うんです。沖縄の二つの新聞、琉球新報、沖縄タイムスは社説として海兵隊撤去をずっと主張し続けていますしね。だから、アクションプログラムで県知事が公表したというだけではなくて、やっぱり沖縄の世論は、事故を起こすのも海兵隊だし、日本を守る軍隊でもないし、やっぱり海兵隊の撤去なしには基地問題の当面の縮小の解決というのはないと。そうでないと、この海上施設の移転問題でもああいうことが起きますし、今度の特措法の改正は憲法違反にさらに憲法違反を重ねるものだと。収用委員会も全く空洞化して何の役割も果たさないことになるんじゃないかということで、怒りがいよいよ高まっていると思います。
  やっぱり我々としては、政府も問題をきちんと正面から見て、佐藤首相はかつて核抜きをあれだけ言ったんだから、密約を結んで妙なことがあっ
たんだけれども、佐藤首相でさえ、当時不可能だと思われていた核抜きを一応アメリカ政府にぶつけてやろうとしたわけなんで、日本政府も海兵隊撤去、せめて縮小ぐらいは言う態度を示すべきだと、そう思います。
  この間の視察でも、そのことを痛感したということをつけ加えておきたいと思います。
  以上です。
○山本一太君 私が質問しようと思ったことは、もう上田先生の講義の中にすべて入っておりまして、シンプルに一つだけ伺いたいと思うんです。
  海兵隊というと日本では余りいいイメージがありません。事実、海兵隊に志願している兵士というのは、アメリカでもどちらかというとそんなに豊かな階層の人たちじゃないということもあると思うんです。何カ月か前に、橋本総理の奥さんの久美子夫人とそれから栗山元駐米大使の御夫人が呼びかけて、ボランティアでこちらにいる海兵隊員を自宅に呼ぶということをやったという記事を週刊読売で見たんです。その中で橋本総理の奥さんなんかが言っていたのは、やっぱり海兵隊の方々一人一人と話してみると、なかなかモラルが高いというか、日本を守るためにここに来ているという非常に高い使命感を持っているというお話があったんです。
  今回、海兵隊を束ねるヘイズ准将にお目にかかったその印象、海兵隊についてどういうふうな感想を、直接話されてあるいは基地を見て思われたか。組織が非常にしっかりしているとか、それぞれの兵士の方の士気が高いとか、そういう印象があったら、実際に訪ねられたところで、益田先生初めミッションに行かれた方にお聞きしたいと思います。
  もう一つは、自衛隊の評価について何か協議したという点があったんですが、これはどういうふうにアメリカの海兵隊が自衛隊を評価しているのかという点をちょっと山崎先生にもお聞きしたいと思うんです。一度マイヤース軍司令官と何か懇談会みたいなのがあって、そのときマイヤース司令官は、自衛隊を非常に高く評価しているとおっしゃっていたんですね。今はもうマイヤースさんは帰っちゃいましたけれども、一つ言っていたのは、飛行時間をもうちょっと延ばしてくれるといいなと言っていたような気もしているんです、日本の航空自衛隊についてはですね。その二点、済みませんが、簡単にお答えいただければと思うんです。
○益田洋介君 益田でございます。
  山本先生の最初の御質問でございますが、確かに海兵隊というのは私が思っていたよりも士気の高い即戦力、要するに、今からでも出動しろという要請に応じられるという態勢を常時保っているというお話でございました。実際一人一人、お会いした方、指揮官の方もそうですが、あるグループのリーダーの方々、チーフの方々を見ましても、非常に充実した、緊張した精神力を持っているし、また即応態勢の中に置かれているんだという認識をきちっと皆さんが持っていらっしゃるなという印象を持ちまして、巷間言われている、海兵隊というのは陸海空軍に比べると質の低い軍隊であるということは当たらないのではないかというふうな印象を強く持ちました。
  そうした意味からも、昨日、あのコーエン国防長官がホノルルで読売新聞の単独記者会見に答えて、四万七千というのは、朝鮮半島の問題が解決するしないにかかわらず東アジア一帯に駐留させなきゃいけないんだという意味は、その辺に私はあるんじゃないかというふうに思います。
  例えば、グアム島あたりに現在の四万七千人の兵力、沖縄にいる兵力を駐留させた場合に、即戦力という面からすると相当距離的なギャップが出ますので、そういう意味では使いにくくなる。ペルシャ湾あたりにも沖縄からですと相当短時間で飛んでいけるという視野で、そういうスパンでの物の考え方をしているために、そのコーエン国防長官の発言があったというふうに思います。
  逆に、ジョセフ・ナイが去年の暮れの講演で言っておりましたように、朝鮮半島問題は二〇〇三年から二〇〇五年までの間に解決するので、海兵隊そのものについてはもう撤退すべきだという意見、この背景には、海兵隊というのは、言ってみれば戦闘における初動態勢の任務につくわけでございますので、戦病者といいますか戦傷者を多く出す。
  アメリカの議会も御存じのとおり、中東和平を希求するさまざまな戦いにおいて、海兵隊員が十七人死亡した段階でもう議会が議決をして、撤退しようというふうな考え方があるわけです。そこで、アメリカの一般国民の世論が、今後海兵隊を維持していくということについては、そうした平和といいますか国民の生命の尊厳を守るという意味から、もう支援が得られないというのがジョセフ・ナイの考え方だと。
  そういったはざまの中で、海兵隊の方は、私は比較的頑張っていただいている。事故を起こすのも海兵隊だ、しかし、実際の即戦力になっていくのも海兵隊だ。そういうふうなジレンマの中で、私がお会いした人たち、いい人たちしかお会いしていないのかもしれませんが、非常に目の輝きもあります。そういったことで、日本の国防というだけでなしに、やはり世界の警察軍としてのアメリカの重役を担っているんだという意識を私は感じてまいりました。
  二つ目の御質問については、山崎先生が御質問されていましたので、お願いいたします。
○山崎力君 山崎でございます。
  その問題に入る前に、ちょっと私なりの考え方を述べておきたいと思います。
  と申しますのは、まず大まかな感想なんですが、自衛隊を取り巻く環境というのは、私、八年か九年前に行って自衛隊基地を視察した記憶があるんですけれども、沖縄県民と自衛隊との関係は、総体として余り改善されていない。自衛隊を見る沖縄県民の目は依然として厳しいということが私の結論でございました。そのことの是非はともかくといたしまして、それが我が国の防衛に関して余りよろしいものではないということは皆様方も御納得いただけるものと思います。
  それに関連いたしまして、私は、今回の視察全体を通じての問題なんですが、軍事的な合理性というのでしょうか、軍隊としての合理的な考え方というのはあるんだと思うんです。これは軍人出身の方であれば、我が国で言えば自衛隊出身の方が中心であろうと思いますが、世界各国における軍事経験者、変な話をして恐縮ですけれども、例えば歴代のアメリカ大統領の中で軍役についておられた方は何人もおられます。ブッシュ大統領はアメリカ海軍のパイロットですか、そういった経験で日本に撃墜された経験もある方だし、古くはケネディ大統領ももちろんそうでした。あるいはカーター大統領が海兵出で原子力潜水艦のキャプテンをしていたということもあり、一般社会においても政治の場においても軍隊の持つ合理性というんでしょうか、軍事行動における合理性という知識が浸透している部分がある。
  非常に不幸なことに、我が国においては、戦前は軍隊は陛下の軍隊であって、一般国民は単にそれに追従していればよろしいというような考え方でありましたし、戦後はあの悲惨な戦争経験から、軍事の問題に関してはなるべくかかわらないようにする、意識的にも無意識的にも触れない方がよろしいというような風潮があったように私は思っております。
  それが、こういった安全保障の問題になったときに、その考え方の是非はともかくとして、考え方というのは、ここで軍隊を使うのか、どこまで軍隊の役割を果たさせるのかという判断です。これは政治の判断は別として、使われる立場の軍隊がこのような状況にあった場合にはどのように使われるのが合理的であるかというのは、これは洋の東西を問わず、あるいはイデオロギーを問わずあるんだというふうに私は感じております。その意味で、今回の海兵隊の方々が言っていることは、これは軍人の立場からすれば至極当然なことを言っているというふうに思います。
  ですから、軍事的に朝鮮半島のこういう事態に対処するためには、こうこうかくかくしかじかというようなことはほとんど差がない、我々素人から見れば差がないような条件で出てくるのだろうと私は思っております。
  それに対して、だからといってそれがすべてではないと。それを理解した上で、政治というか国際外交といいますか、そういった中でどういうふうにその軍隊を使おうとするのかというのが、まさに政治のイニシアチブ、本来の言葉で言うシビリアンコントロールに当たるものだろうと思っております。
  そういった前提のもとに、私が今回の視察を通じて自衛隊の問題を感じたときに、先ほどの上田先生の話からすれば、我が国の自衛隊はいわゆる徴兵でない志願兵である、しかも一般の方たちを部下にして、その方たちが多くまた市民に戻る。そういった中で、マスコミ報道等の自由さもあれば、在来の日本の軍隊のイメージしていた、軍人のイメージしていた感覚と違ってきた部分があるというふうに思っております。それがむしろ逆に沖縄において、改善されない県民意識に対するいら立ちが出てこなければいいがなというのが私の率直な印象でした。逆に言えば、それだけ沖縄県民の心の中に刻まれた傷が深いということでもあろうと思います。
  そこで、御質問のあった点でございますけれども、米軍の自衛隊に対する評価というものは極めて高い、一種のプロフェッショナルであるということは、私がさまざまなところで聞くところでございます。これは、我が自衛隊の場合は志願制をとっている関係で、任期が終わればすぐ一般社会に戻るという方もかなりおられますけれども、ある程度自分の職業として自衛隊の中で仕事を身につけていくという方の比率が高いということが一つの原因と思います。あるいは日本人としてのいろいろな仕事におけるまじめさといいますか、そういった点での評価であろうと思います。
  私が米側から聞いた話の中で非常に印象に残っておりますのは、我々というのはアメリカ側ですが、我々は日本政府から非常によくしていただいております、施設面その他についても非常にいい境遇を受けておりますと。ただ非常に心苦しいのは、同じような立場にいる自衛隊の人たちの施設に比べて私たちの方がいいと。逆に言えば、日本を本質的に守る自衛隊の方が米側に提供されている施設よりも、劣悪なとまではいかないかもしれませんが、一段低いレベルで我慢してもらっているというのが一番心苦しいということをおっしゃっていました。さらにつけ加えますならば、そのことに関して自衛隊側から何の文句も我々に来ておりません、恨みがましい言葉もありませんという言葉が一番私の記憶に残っております。
  そういった意味で、自衛隊が、あそこの場合はいろいろな任務がこざいます。領空侵犯に対する対応、救難活動、あるいは掃海なんかも入ってきますけれども、コンパクトな形で小さな形ですけれども、三自衛隊があそこにいるということも事実です。それが、サイレントマジョリティーは別として、オフィシャルな形でいえば冷たい状況、改善されていない状況の中にいるということも事実ですし、そしてその中で彼らが一生懸命任務を遂行しているということも事実だろうと思います。
  ですから、問題は、そういった前提を踏まえた上で、かつての沖縄戦、それから占領地、一般国民としての権利すらなかった長い施政権下の時代の沖縄県民の恨み、あえて恨みという言葉を使いましたが、それに我が本土にいる日本国民がどのように対処すべきなのかというときに、余り私としては自衛隊とか米軍の問題として討議したくない。まさに日本国内の問題として、この問題に処していかなければいけないのではないかというのが今回の視察の私なりの結論でございました。
  以上でございます。

○大脇雅子君 興味深い視察の御報告をいただきましてありがとうございました。
  私も三回ほど沖縄の基地関係でいろいろあちこちを見せていただいたことがあるのですが、率直な庶民の感覚といたしまして、思いやり予算が余りにも潤沢に使われているということと、それから沖縄全土が中心的なところを基地に提供している関係で、本土と比べて経済発展から置き去りにされた、非常にそういう地域として存在するわけです。その金網の、いわゆる基地のフェンスの内と外との生活の格差というものに実は樗然とさせられるということであります。
  確かに、米軍のためにつくる学校とか施設とかさまざまな住宅施設というものは、不必要とは言いませんけれども、あの格差の中に私は沖縄の人たちの大きな不満といいますか、戦争を契機に少しも変わらないそうしたいら立ちがあるのではないかというふうに思います。地位協定の見直しが今問題となっておりますけれども、例えば沖縄の人たちの生活とそうした演習との関係について、諸外国などに見られるように低空飛行の規制もありませんし、不発弾の処理についても環境の回復についても、具体的なこちら側からの改善の要求もないということに心が痛むわけであります。そういう点について、視察をなさった先生方というのは何かお感じになったかどうかということをお尋ねしたいと思います。
  先ほど、自衛隊の施設との格差が心苦しいと米軍が言われている、確かにそういう点も施設同士であると思います。また、そういう置き去りにされた沖縄の貧しさみたいなものの解決なしには、私は沖縄問題の解決はないのではないか。したがって、経済的な援助、沖縄の大田知事が言っておられるようなアクションプログラムなどというのを国の施策として取り入れていく積極的な姿勢が必要だと私は思っているものですから、それについてお尋ねをしたいと思います。
○山崎力君 今の御質問で、こういう考え方の人間もいるということで御承知おき願いたいんですが、私は、地元のことを言うのはなんですが、青森県選出の国会議員でございます。青森県というのは御承知のとおり米軍の三沢基地を抱えておりまして、その点でつけ加えれば、米軍三沢基地における整備状況と嘉手納における飛行場の用地を見ると、まさにある意味では臨戦態勢のところとそうでないところの雰囲気の違いを感じました。
  ソ連からの爆撃を前提とした掩体ごうを整備した三沢基地と、吹き抜けの、F15がずらりと横並びになる日よけ程度のコンクリートの屋根を並べた嘉手納との、同じF15が守る基地でも、今でこそ冷戦終結によって安心感はありましたけれども、内容から見ればまさに三沢は臨戦態勢に近い基地整備をしており、嘉手納はまさに飛行機からの攻撃は受けないという前提の整備状況でありました。
  そして、そういった基地を抱えるのみならず、経済援助ということを考えれば、これは国際問題とは切り離して語ることかもしれませんけれども、全国の県民所得から見ますと沖縄が最下位であるということがよく言われます。その上はどこかといえば、鹿児島であり青森であるわけです。
  そして、青森の県民所得と鹿児島、沖縄とを比べてみますと、これは地元の人間に言えばすぐわかることなんですが、沖縄で車を持っていてタイヤを四本別に必要な人がいるか、冬の間灯油をずっと燃やさなければ生活ができないような気象条件か、靴を夏と冬とかえなければいけないような気象条件か。そういったことを言わせていただければ、まさにそういったものを省いた意味での可処分所得からいえば、我が青森県は沖縄より下ではないかというような気持ちを私自身持っております。
  そういった立場の者からすれば、確かに戦後そういった意味での、戦中を含めた沖縄の人たちの受けた傷というものは大きいものがございますけれども、現時点での経済に対する、そういった生活に対することになってきますと、正直言いまして、私どもにも一言言わせてほしいと。
  地元の者から言えば、手前勝手になりますけれども、悲願であった東北新幹線の青森延伸に関して、経済状態がどうこうかくかくというようなことを言われてみれば、十把一からげ、差をつけるかどうかは別としまして、沖縄の問題を、その人たちのために経済をということになってみれば、本土にだってそういうふうなものを見る目が皆さん方にはないのかという反論を私はしたくなる部分がございます。そういった目で沖縄の人を見る人もいるということを、この際御理解願いたいと思うんです。
  そういったいろいろな問題をトータルとして見たときに、すべてごくもっともな恨みだとは思うんです、本土に対する。ただ、それはそれとして、施策として国がやるときには全国の中の一つの地域であると。古い言葉になっているかもしれませんけれども、均衡ある国土の発展という言葉がどういうことなのか。沖縄が基地を抱えているというのなら、青森にも米軍基地はあるんですよと。もちろん面積的には少ない。
  今、ソビエトとの関係が冷戦後ロシアになって変わってきたから、ある意味では非常に安心になってきているけれども、先ほど申し上げたような基地を抱えておりますよ、そういったこともあるということを沖縄県民の方は御存じですかというふうなことを私の立場からは言いたい部分があります。
  また、そういったことを御存じないまま沖縄だけに目を向けている方がおられるとすれば、私としては非常に残念なことであるというふうに今の御質問にお答えしたいと思います。

○田村公平君 僕は、山崎委員ほど格好よくようまとめませんけれども、返還前の沖縄、七年前の沖縄、そして今回の視察に行かせてもらって、たまたま泊まったホテルが七年前に行った同じホテルの同じ部屋でありました。眺めてみますと、本当にある意味で沖縄はうらやましいと思いました。さきの大戦において戦場であったことも、先ほど来いろんな方々が申し上げたことも全部含んだ上で、非常に今日的に私は言わせていただきたいと思います。
  私は、高知県に生まれ育った人間ですけれども、山崎先生のように基地はありません。しかし、嶺北地方というところがありますけれども、車を運転して疲れ果てて居眠りをしておったら、下から地響きが起こりまして、目が覚めるとF15がぶっ飛んでおります。吉野川水系が訓練空域なんです。いつぞやも山から木を切り出すワイヤーに戦闘機がぶつかって早明浦ダムに墜落をいたしましたけれども、そういう問題はF15とかトムキャットがおっこちて初めてニュースになります。それ以外はニュースにしてくれません。なぜかというと、人口が八十二万人しかおらぬものですから。
  かつて九十万高知県民、かつて九十万沖縄県民と言った沖縄が何で百二十七万になったのか。その昔行ったときに、うちの田舎と同じように大変粗末な農家の家並みがいっぱい見えました。七年前、ことし行ったら、南部を含めまして建物も非常に立派です。そして、那覇市の再開発を地域公団がやっておりますけれども、六百億円を超える大事業です。貯水池の上からずっと現場の事務所を数えておりましたら、たしか二十六業者ぐらい、それがほとんど株式会社じゃなくて有限会社で、町場では百メーターおきぐらいに土建屋さんがある。
  これは、さっきのいろんなつらい思いのことは抜きにして、僕なんかの目で見るとあんな立派な県庁の建物があって、うちなんかはいまだにあのぼろい県庁です。産業がないという次元では高知県も沖縄県もほぼ同じだと思います、可処分所得の話が今ありましたけれども。
  そういうことを考えたときに、基地がなくなればいいという話をそのまましていって本当にいいのかなと。いいのかなというのは、本当にそこで生活している人たちの経済のことを考えたときに、僕は逆に言うと、青森県だけじゃなくて高知県レベルで見ても沖縄の方がある意味で今は豊かだと思います。そういう指標をどうやって調べたらいいかと思って今調べておりますけれども、僕が行って感じた率直なフィーリングというか皮膚感覚です。だから、つい大田知事との会見というか懇談場所で、できたらうちにも一つ基地を持ってきたいなと。
  そういう議論を、例えば知事会とかあるいは地方六団体の全国町村議会議長会だとかいろんな機関がありますけれども、そういう場所でもっと議論していただく。それから、実は請求いたしましたら、後で議員会館の方に非常にいい資料をいっぱい送っていただきましたけれども、そういう形でのコンセンサスというか、国会レベルとかだけじゃなくして、もうちょっといろんなところでお互いが知り合うことも必要じゃないかなというふうに感じました。
  お答えになるかどうかわかりませんけれども。
○馳浩君 大脇委員にひとつ報告というか私たちが実際に見てきたことを申し上げれば、基地が沖縄のやはり市街地の大半を占めている。例えば、以前ありました米軍牧港住宅跡地というところが返還をされまして、平成十一年までに段階的に再開発事業というのを今しておるわけです。まさしく本当に都市の真ん中にぽっかりと基地跡地があって、それは住宅跡地であったわけでありますけれども、そこを再開発して行政それから商業などの中心的な土地にしていこうと。
  そういう意味では、沖縄の経済のまず根本的な社会資本整備、都市整備というものに対して、私たちは、そこが今まで米軍の土地であったということを考えれば、国として最大限のお金を投入して、その基本的な生活環境を整備してあげなければいけないなという感触を間違いなく持ちました。
  もう一カ所、北谷町のハンビー地区というところも視察させていただいたんですけれども、そこもやはり商業地域として、あるいはある部分は住宅地域として整備をされておりました。もちろん、すぐその隣が瑞慶覧のキャンプだったと思うんですけれども、市街地の半分以上が瑞慶覧のキャンプになっておりますので、その周辺がこういった形で整備されていくのは、沖縄の県民に対して最低限の我々日本国民としての礼儀であるなという印象を受けました。
  と同時に、今後のことを考えれば、沖縄に米軍基地が多いという特殊な事情を考えれば、やはり本土とは違った意味での経済的な特例措置というものを私はとっていくべきだと思いました。フリーマーケットのようなものであるとか、金融のフリーゾーンであるとか、あるいは例えば企業の法人税を本土より半分ぐらい安くするとか、ある意味ではそれぐらい大胆な考え方で沖縄振興に取り組むことが必要であると思いました。と同時に、観光産業が二千億から二千五百億という数字が出ておりましたけれども、それを立ち上げるためにも、航空運賃をより一層低く抑えていくような措置というものももっと考えていくべきだと思いました。
  あともう一つは、実は沖縄県庁を訪問いたしましたときに、私の率直な意見なのでありますが、大田知事が徹頭徹尾、最初から最後までマスコミを入れて、私たちの懇談をオープンにしようとしたのか、それとも我々国会議員との懇談でも、今までの意見を言うということを県民に知らせるためにそうしたのかわかりませんが、第一印象としては大変な役者だなということをまず感じました。
  二つ目は、これは山崎委員から質問があったと思いますが、普天間の基地をキャンプ・シュワブ沖に移転するということに関しまして、米軍側は、これは国内問題であるとまず言っておるわけであります、日本国内の問題であると。
  そこで山崎委員が、なぜ沖縄県知事として名護市長であるとかあるいは県の漁連であるとかを説得して、移転合意に向けての環境の下整備をしないのかというふうな質問をされたときに、それには明確にお答えにはならなかったわけです。あくまでも、日米安保が重要であると言うのならば、なぜ国会議員の皆さん方よ、沖縄県の悲しみを日本国全土で一緒に負担していただくことができないんですかということの主張に終始いたしました。
  実際、現実問題として普天間基地が移転をする、それをSACOの最終報告では、五年ないしは七年でその移転先が決まって整備が整えば移転するよと言っているにもかかわらず、あなたは名護市の説得であるとか県漁連の説得であるとか、そういう現実的な対応を県内でしようとはなされないんですかということに関する明確なお答えがなかったという点に関しましては、私は、大田知事はまだまだ沖縄県民全員の意思に対しておこたえしていないのではないかという印象を受けました。
  と同時に、私たちはホテル滞在中に琉球新報と沖縄タイムスの二紙を拝見いたしたのでありますが、朝日、毎日、読売、日経等の我々がいつも手にする新聞というのは午後にならないと手に入らないわけでありまして、私はこの点をおかしいのではないかと質問いたしました。
  今やニューヨークやロサンゼルスでもその日の朝のうちに新聞が手に入るのに、ここまで私は申し上げませんでしたが、偏った一方的な意見、社説で固められた新聞だけを見て判断させるのではなくて、あらゆる考え方を県民のためにまず提示する。マスコミの声あるいは県民の声を左右するというのではなくて、提示して、どうぞお考えくださいというふうな状況が整っていないのではないかというふうなことを申し上げたのですが、これに関してもやはり明確な答えがいただけなかった。
  そういう意味では、沖縄県民の意思というものを、私たちは大田知事の声をもってしか知ることができなかったということで、もうちょっと踏み込んで、本当に皆さん方はどうお考えになっているのかということを大田知事の声から伺いたかったなという気がいたします。
  今回の特措法改正に絡みましても、契約に応じられていない三千人のうちの二千七百名はいわゆる一坪反戦地主ということでありますから、その契約している土地の割合が〇・〇〇一%ですか、ということを考えますと、大多数の沖縄県民の方の本心の声も伺いたかったなというふうな印象も持ちました。
  以上です。
○北岡秀二君 今、ちょうど馳委員の方から最後に一言あったんですけれども、特措法に絡んで私どもは、沖縄の米軍基地の軍用地の問題に関連して、どうしても継続使用を認めていただけない反戦地主を含めた三千人、ここにスポットを当てた関連のことばかりをお聞きするわけでございますが、今の話にありましたとおり、二万三千五百ヘクタールですか、このうちの九九・八%から九%の所有者は継続使用を認めておられる。人数で申し上げると約二万九千数百人の方々が継続使用を認めておられる。この県民の意思と申しますか、認めておられるその思いというのはどういうふうなところにあるんだろうか。
  そのあたりは、今の話によると今回の視察で確認ができなかったということでございますけれども、調査なり質疑の関連でそのあたりの確認をされた節がございますればお教えいただきたいんですけれども。
○上田耕一郎君 私、おととしの十二月に調査団長で沖縄へ行って、反戦地主会とも懇談しましたし、軍用地地主協会にも行って懇談して、経過も全部調べたんですが、非常に複雑なんです。
  さっき言いましたように、一番最初に一万八千ヘクタール取られて、少し返されて、一年たって自分のうちへ戻ってみたら鉄条網で基地になっていて、土地がなくなっているという人が多くて、それで結局戦前の部落が全部変わっちゃったんですね、基地のおかげで。
  それで、さっき言った五三年の米軍の布告で、今まで地代を払わないのはアメリカ憲法に違反するというので払い始めるんです。年に六円でたばこ代ぐらいというので、それから四原則の大闘争が起きるわけです、島ぐるみの。それは一応解決した。ただし、米軍の払ったのは講和後なんです。講和条約前の被害補償の運動が起きまして、当時の金で百七十五億円ぐらいの要求なんです、あらゆるものを集めて。それで、アメリカへ行ってもう大運動が起きて、アメリカで法案が出るんですよ、日本に補償するというのが。結局、ここがアメリカというのは合理的だと思うんだけれども。
  日本の政府も、請求権は沖縄については放棄していないと。アメリカ側は、請求権を講和条約で放棄したと言うんだけれども、日本の政府は、沖縄についてはこれは放棄していないというふうに大蔵省が返事を出したりした。それで、アメリカ側は、結局、請求権じゃないけれども恩恵的措置として半分、日本円で約七十五億円を支払うんです。これはやっぱりアメリカというところはいろいろ合理的なことがあるんだなと思うんだけれども、たしかジョンソン大統領時代に七十五億円払った。
  それで復帰でしょう。復帰のときに約三万名の地主のうち三千名が判を押さないで、あとは判を押すんですよ。そのとき地代が六倍になるんです。だから、そのときに防衛施設庁と契約を結んで六倍になった地代をいただいた地主が三万二千名のうち約二万九千名いて、あと三千名が判を押さなかった、それが反戦地主なんですね。
  その後、公用地法、それから特措法等々いろんなことがあって、反戦地主になると補償金が出るんだけれども、補償金を例えば五年分一遍にくれるんです。一遍にくれると所得税を取られるでしょう。それで結局非常に損をする。そういうさまざまなことがあって、だんだん減っていきまして百人ぐらいになる。
  軍用地地主協会と話したら、やっぱり一番彼らが問題にしているのは、今基地を返されると地代が入らなくなる。地代だけで生活している方が多いんですよ、年配の方はね。それで、軍転法というのができて、そうなると困るので三年間は地代をそのまま払い続けようということが決まるわけです。それで、頭打ち一千万円なんですよ。しかし、返されても三年じゃ利用できないというんです。例えば、那覇市でも十年ぐらいかかるんですよ、返ってから物にするまで。
  だから、そういう意味では軍用地地主協会も、軍転法の改善をしてほしい、三年じゃなくて例えばもっと延ばしてほしい、頭打ち一千万円では困る、もっとこれを上げてほしい、こういう点は僕らも軍用地地主の方々とも意見が一致したんです。細切れ返還されたり何かされたんじゃ使えない。だから、今のまま返されたのじゃ、今の軍転法のままでは、返されて地代が三年でとまつちゃうのじゃ生活できないからというので、そういう要求が非常に強いわけです。反戦地主の方々は、同時に思想上の問題があって、沖縄戦その他のことがあり、平和のためにはもう基地は絶対反対だと。
  とにかく本土と違うのは、本土は安保条約とそれから国内法に基づいて基地が提供されているんだから、やっぱり提供する場合はちゃんと合法的にいくでしょう。沖縄の場合は、さっき私言ったようにオーケーして渡した人は三万人の地主のうち一人もいないんですね、みんな勝手に取られたんだから。そういう非常に複雑な経過があって、だから、反戦地主が今百名に一坪反戦地主が約三千名ぐらいで、三十六ヘクタール、十三施設で闘いをやっているんです。
  だから、本土にはいないんです、反戦地主というのは。勝手に不法にとられたので、自分の権利、財産権を主張し、それから平和のためにという思想が加わってああいうことになっている。だから、やっぱり本土と非常に違う沖縄の複雑な歴史をよくわからないといかぬ。だから、軍用地地主の方々も、本当に自分の土地が返ってきて生活できるような補償があればそれでも結構だけれども、今のままではもう地代が来なければ暮らせない、年間何百万円も来る地主もいるんですから。そういう経済問題、生活問題が非常に大きいんです。
  我々が最後に見た牧港もいよいよこれからやるというんですけれども、基地返還というのはなかなか難しくて、例えば那覇軍港なんというのは、二十二年前に日米合同委員会で返還を決めて二十二年間そのままなんです。だから普天間も、去年の四月十二日に首相が発表したんだけれども、もうそろそろ一年でしょう。それで、先ほどお話があったように、大田知事は名護の市長との間に絶対立とうとはしませんよ。名護の市長は反対しているでしょう。それで、名護の地域の財界人は、これはアメリカの要求だというんだけれども、海上施設では困る、ちゃんと固定してっくれというので案まで出てきている。このままいくと、那覇軍港みたいに普天間の飛行場もなかなか解決しない。あのままですよ。
  アメリカにとっては今のままでもそれは結構だと。移って新しい飛行場ができれば、これは近代的な飛行場になっていいということになって、アメリカの方はひとつも困らない。しかし、普天間のあるあそこの市長は、人間でいえば胸と腹をえぐられたみたいなものだというので、市としては本当にもうどうにもならぬという状況ですからね。
  だから、普天間基地を、今のような沖縄県の中に移設して近代的な飛行場にするというやり方だとなかなか解決しない。だから、具体的な解決は海兵隊撤去しかないんじゃないか、そう思わざるを得ないんですけれどもね。
○齋藤勁君 ちょっと一つ。
  予定した時間が来ているようなので、質問をしようかなと思いましたけれども、余り質問をするとまた時間が過ぎてしまうので。
  多少意見めいたことなんですけれども、私も何回か沖縄をお訪ねしたことがあります。そして、長いときには一週間、十日ぐらいいたときもあるんですが、何回か訪れても、よく言う沖縄の心とか気持ちというのは、やはりまだ私は自分自身きちんと把握をしていないというのを思う日々でございます。
  それにしましても、きょうの視察の報告を聞きまして、例えばヘイズ准将さんですか、通常、軍人ですと指揮命令系統に従いますから政策的な話をなかなかしないんですけれども、この普天間あるいは韓国情勢その後について、そういう軍人が発言をするというのは、いいことか悪いことかは別にして大変参考になることじゃないかというふうに思います。
  これに引きかえ、やはり我が国内でもこの海兵隊問題につきましてはさまざまな議論があるんですけれども、韓国情勢につきましても東アジア全体につきましても、きちっと情勢分析をして、日米共同宣言に基づきまして今の兵力配備が決まっているわけですけれども、もっと多様な意見が日本国内から出てもいいんじゃないかなという実は気がしてならないんです。
  ナイさんの御発言についてはこうだ、あるいはヘイズさんについてはこうだと、いろいろアメリカ国内のそれぞれの有力者の発言は出てくるんですけれども、日本国内からの有力な政治家の発言としては、どうもアメリカ国内にはそうそう聞こえてこないんではないかということを、実はアメリカの方から聞くわけです。多様な意見があってこそ民主主義というのはあるわけなので、私は、この海兵隊削減の動きというのはもう当然そういう方向にいくべきであって、むしろ今いること自体が、今の東アジアの情勢から見てもおかしいのではないかというふうに思う、極論を言えばそうなんですけれども。短い時間ですから結論めいたことしか言えませんが、そんな実は感想を持っております。
  そして、経済問題なんですけれども、これは私も幾つか外国を訪れさせてもらいまして、基地と経済を結ぶ問題が大変深刻であるというふうに実は受けとめざるを得ないというふうに思います。とりわけ沖縄県にとりまして、この駐留軍労働者の希望者数が非常に多いということは、どういうふうにこれを見なきゃならないのかなというふうに私は思います。とりわけ基地依存になってしまう、そこから脱皮をするというのは大変なわけでありまして、先ほど田村さんの御意見で、基地を我が県にもという一つの発想もあるよというふうに言いましたけれども、この基地経済というのを単純にそういうふうにお考えになっているんじゃないと思いますが、大変実は深刻な問題だというふうに私は思っております。
  とりわけ沖縄県にとりまして、嘉手納をごらんになったと思います、私も見ましたけれども、那覇空港は自衛隊とそれから民間の共用空港です。嘉手納空港の二本の三千メートル級でしたか、滑走路二本、これが民間中心に通常使用できているとすると、沖縄のアクションプログラムにも、あるいは経済発展の中にいろいろ計画がございますけれども、ここの嘉手納空港がもしそういう意味で軍用専門ではなくて民間を中心にした空港ならば、沖縄の持つ地理的な特性を生かした中での経済的な役割というのは、もっと飛躍的に発展するんではないかというふうに実は思っております。ある学者の方も、嘉手納をやっぱりハブ空港にすべきだという意見もあり、先ほどの普天間代替で海上滑走路ができても、また嘉手納というようなそんなこともあるようです。
  私は、那覇空港の返還の問題と普天間の返還と、嘉手納の民間を中心にしたそんな利用の方向というのをとることによって、もう少し地理的な特性を生かした沖縄経済の振興、発展に向けた役割が果たせるのではないかというふうに思います。あの嘉手納をずっと今日まで占められているということや、あの那覇港の主要なポイントをとられているということが発展にとって非常に今日まで支障があったということは、私は事実ではないかなというふうに思っています。
  私自身は隣の神奈川県に住んでおります、第七艦隊の空母でありますミッドウェーからインディペンデンスの母港の。私自身も横浜に住んでいますから、厚木基地も近隣に控えておりますが、いろいろ軍事専門家の方に聞きますと、沖縄の基地が大半返ってきても、齋藤さん、横須賀と厚木というのは返ってこないよ、こういう言い方を実はする人がいます。それだけ第七艦隊にとりまして横須賀港というのは重要であり、厚木基地も重要であるということで、我が神奈川というのはそういう意味では沖縄に次ぐ第二の基地県ということで深刻でございます。
  それで、沖縄と神奈川というのを両方行ったり来たりしていますが、神奈川の場合は幸いなことに戦後集約化をされてきている。今は厚木とか横須賀とかノースドックとか一部ありますが、非常に集約化されてそれ以外は全部返還をされているというような特徴があります。沖縄の場合は、大部分がまだそういうふうに集約化されないままで七十数%もあるということで、これはもう決定的に違いがある。
  今回のさまざまな一連の問題でも、この重圧に耐えてこられた沖縄の方々の気持ちを少しでも理解するならば、なぜそこにあるのかということについて、冒頭申しました海兵隊の問題なり、日米の中でざっくばらんに防衛戦略について話をすることができるような時代になったわけでありますから、もっと率直な意見開陳をする中で、この基地の縮小あるいは後方配備も含めまして、現実的な対応をとるというのが日本の政府の役割ではないかなというふうに思っているところであります。
  何かまとまりのないような話だったんですが、自分自身の意見も交えまして御披露させていただきました。
○板垣正君 一言だけ。
  私は、沖縄の人ともつき合いが長いんですが、沖縄の人というのは、やはり大変な歴史的な試練を経ているというか、非常にたくましいです、それから明るいですね。ですから沖縄は、さっき大脇先生からお話がありましたが、確かに生活がダンチで、アメリカは豊かな暮らしで、広大な基地で、ああいう何というか惨めな時代がありましたよ。もう今は逆じゃないですか。沖縄の人から見ても、むしろアメリカの連中というのは月給も安いし、小遣いもなくてピーピーしている、そういうゆとりというか、あれがあると思いますね。
  それと、さっき馳先生からお話がありましたけれども、あそこは琉球新報と沖縄タイムスという、これはまさに反戦地主を代弁するような論調を書きまくっていますね、ほとんど。あれが随分、我々
が受け取る沖縄の心と言いながら、九八%と二%のバランスをいささか失しているんじゃないのかと思うんです。
  だから、言いたいことも言えないという空気、本音はうっかり言えないあの空気の中で、いや、基地があった方がいいとか、やはり地主としては困るんだよと、余り早く返されてはなんというような本音の話は出せない。もうムードとしてとにかくああしたやり方は反対だ、こういうふうな流れというものも表にはある。しかし、その根底を流れている、沖縄県民というのはなかなかしたたかで、かつ誇りを持ってやっておられるという感じを持ちます。
  我々が今度視察に行った沖縄国際センター、これは国際協力事業団の九つ目の国際センターですけれども、あそこは物すごく成功しているんです。成功しているということは、東南アジアから若い人たちがたくさん来ているけれども、それと沖縄周辺地域と沖縄との交流が非常にうまくいっているんですね。
  沖縄の人というのは、比較的そういう外国人との交流をする、そういう人たちを家庭に呼んで交流をするというようなことに非常になれているというか、そういうのが生活と一体化している。だから、あそこの国際センターというのは、本土じゃなかなかそうはいきませんよ。本土では余り交流というものは聞かれないけれども、あそこは特別にそうした定着もいいし、また成果も上げているし、地域に溶け込んでいるというようなあり方というものも、私はそういう面の幅広い見方からの沖縄の心というものをやはり見届けていく、勉強していく必要があると思います、余計なことですが、一言。
○会長(林田悠紀夫君) ありがとうございました。
  まだまだ議論は尽きないようでありますが、予定した時間が参りましたので、本日の意見交換はこの程度とさせていただきます。
  本日はこれにて散会いたします。
    午後二時三十八分散会