質問「公述人のご意見をお聞きしたい

(平成11年3月4日参議院予算委員会公聴会会議録より抜粋)


(前略)
○山崎力君 限られた時間でございますので、申しわけないんですが森本公述人にはちょっとこの際御遠慮いただくことにしまして、小林公述人に質問したいと思います。
  まず第一点、先生は通説に従って大体憲法の解釈をなさっているというふうにおっしゃっておられましたが、通説上のそういった方々は、自衛隊は憲法違反だと思っているんでしょうか、あるいは日米安保条約は憲法違反だと思っているんでしょうか。

○公述人(小林武君) 結論的に申しまして、自衛隊に関しましても安保条約に基づく米軍の駐留に関しましても、日本国憲法が我が国自身が戦力を持つことも、また我が国が他国と同盟を結んで他国の戦力の駐留を認めることも否定しているという、そういう考えでありますから、解釈論上の通説はそれを違憲とするのが結論でございます。
○山崎力君 その場合、国家としての生存権を担保する装置は何を考えているんでしょうか。
○公述人(小林武君) 大変難しい議論ですけれども、国家が自衛権を有しているという、先ほど生存というふうに言われましたのも、きっとそれらの権利、大変それは自然権的な権利ということになってくるだろうと思いますが、そういうものをベースとしてのお話だろうと思うんですね。お話といいますか、議論としても客観的にそうでございます。
  その場合に、少なくとも日本国憲法が誕生するまでの世界の憲法やあるいは国際文書の中では、自衛権の実現の仕方というのはイコールやはり戦力、日本の場合には自衛力というふうに政府はずっと言葉を使ってきていますけれども、そのような自衛の権利を生かすものはそれを担保する戦力であるという、こういう理解があったわけです。
  ただ、日本国憲法の場合にはかなりそれを原理的に転換しているのだろうと思います。戦力を持たない形で生存、つまり自衛の権利、その権利自体を憲法は否定するものではありませんけれども、そういう権利を軍事力以外の方法で実現するのだという、こういう方向をとっただろうと思います。その点で学説は分かれまして、そうであればそれまでの自衛権概念とは大きく違います。
  ですから、自衛権それ自体をそもそも否定したのだという、こういう見解も出てきておりますけれども、しかし大きくは、自衛権を憲法は当然前提にしながら、自衛権の実現の手段として軍事力によらないもの、そういう形で自衛権の実現を図る、こういうふうに考えていると思います。
○山崎力君 その後者の場合に、具体的にそれをやるものは何だというふうに考えていらっしゃるんでしょうか。
○公述人(小林武君) 私は、必ずしもそれに答えるべき立場ではないと思うんですけれども、一般的に議論されておりますのはやはり大きな平和政策です。
  大きなと申しますのは、外交交渉が前提になり、あるいはまた国や社会のあり方自体が平和国家であるということ、さらには他国との関係におきましても特定の国家との同盟、ましてや軍事的同盟を結ばずにすべての国との間で対等な平和的友好関係を持つなど、そういうふうな総合的な大きな形での平和外交、平和政策、そのことによって自衛の権利を実現するのだ、これが基本だろうと思います。
○山崎力君 そういうのは自衛権の行使とは言わないんじゃないですか。
  いわゆる自然権的な考え方からいく正当防衛権、個人の正当防衛権の場合もいわゆる急迫不正の侵害については実力行使ができる、可能である、これは他者についても同じだというふうに、極めて個人のレベルにおいてはいわゆる集団的自衛権的なものも認めている刑法体系になっているわけです。これは自然法的な流れで世界各国共通の正当防衛概念だ。それを日本が別の概念を持ってこようとして、今おっしゃられたような具体的な方向というのは、隣人に対してなるべくけんかしないようにしましょうとか、何か危害があったら、国は逃げられませんけれども、個人はその場を離れましょうとか、あるいは警察力、国連のあれを強化しましょうとかというのはあるんだけれども、最後の生存権というのは、国であれ個人であれ、自分自身でやらなきゃいかぬという考え方がどうしても自然法的に抜け切れないし、それが世界の通説だと思うんですが、そこに対する考え方というか、新しい概念というものの説明にはなっていないと思うんです。もう少し国民にわかりやすくそこを言わない限りちょっと問題だと思うんですけれども、いかがでしょうか。

○公述人(小林武君) 私の立場、つまり学会に籍を置いている一人としての立場からそのようなことについてどのように申し上げるか、かなり迷うところがあります。だから、客観的に説明しているということになりますが、そして私の主観的な意見を言うということになりますが、国連の中でちょっとお触れになりました集団的自衛権が憲章上も認められているというのは、あれはぎりぎりになって認められたことです。国連憲章の出発のときにはなかった、議論の最初にはなかったもので、かなり政治的な経過を経て入ってきたわけであって、むしろ例外的な規定なんだろうと思います。やはり、せいぜいのところ個別的自衛権だろうと思います。
  さて、それを生かすやり方として、日本国憲法の場合本当に議論はあるわけでありますけれども、そのような一切の実力を考えないということであれば、それは実際上一つのユートピアになってしまうのではないかという議論に対しては、確かに学会の中でも警察力でありますとか……(「ナンセンスですよ」と呼ぶ者あり)いやいや、そういう議論があるということです。そういう議論があります。
  私は、そういうふうには思わずに、ある意味でもっと徹底して、この公述の中でも申しましたように、お聞きくださったと思いますけれども、やはり平和に徹する外交ということがむしろ現実の安全保障にそぐうのだと私は考えているわけです。
○山崎力君 時間ですので、終わります。
(後略)